「自立」と「介護」は隣り合わせ 将来の安心を得るための施設とは

2017/12/05

グッドタイム リビング
ライフスタイル

グッドタイムリビングセンター南にてインタビューの様子
グッドタイム リビング センター南にてインタビューの様子

INTERVIEW

プラテシア センター南
ゲストインタビュー 髙村 正さん

「自立」と「介護」は隣り合わせ
将来の安心を得るための施設とは

こちらの高齢者住宅の特徴は、6~9階の高層階がお元気な方向けの「プラテシア」、2階~5階が介護が必要な方向けの「グッドタイム リビング」になっているのが特徴です。介護が必要になった時に上層階から下層階に移り住むことができるのです。
今回お話を聞いた髙村正さんは「プラテシア」にご夫婦で2015年7月に入居されました。しかし、2年目に入った2016年の秋、奥さまが脳梗塞で倒れられ介護フロアに移り住んでいらっしゃいます。

190センチの長身を折り曲げるようにして、インタビューの部屋に入ってらしたのが髙村 正さん。横浜っ子だそうで、現役なのかと思うほどエネルギッシュです。

安倍:「プラテシア」にご入居されたきっかけは?

髙村:こちらに入居するまでは普通のマンションに家内と住んでいました。マンションは便利だったけど、ものすごく寂しいんですよ。フロアで人と会うのも月に1回あるかないかだったし。そもそもコミュニケーションがないんですよ。これから先を考え始めて、2人きりでは寂しいし、夫婦で先行き心配ないように最後は老人ホームがいいね、と思い4ヵ所ほど物件を見て回りました。しかし、なかなかいい物件が見つかりませんでした。

そのような時、新聞でオリックス・リビングの広告を見た髙村さん。「近くて新しいし、いいな」と思ったのだそう。こうと思ったらすぐに行動だ。

髙村:社長の講演を姪っ子と聞きに行ったんです。そしたら姪たちが「いいみたいだよ」って言うものだから、じゃあ、実際に相談に行ってみるか、ということで、家内と姪とで行ったんです。そうしたら、興味が出てきたので、真剣に考えてみようということになりました。

安倍:それで、すぐに入居を決められた、と。

髙村:最初は9階に1年間入居していました。入居して1番目の印象に残ったことは、1年間辞めたスタッフがいなかったこと。スタッフの対応も変わりませんでした。ああ、この会社はしっかりしてるな、と思いました。
ところが家内が脳梗塞で倒れて病院に入院しましてね、退院してからこちらの2階に移ったのですが、その時のスタッフの対応が素早かった。見事にやってくれたんですね。これが第2の印象です。
今は家内は少し喋るようになってご飯も食べられるようになりました。私も朝昼晩こちらに来て食事しているんです。

お話を聞いて思うことはやはり「スタッフ」の力は大きいな、ということ。辞める人が少ないということは職場が生き生きとやる気で溢れていることを伺わせます。また、どのようなシーンでもゲストを満足させるサービスの質を保つのは、不断の努力がなければなし得ないこと。それを髙村さんは見抜かれていた、ということなのでしょう。

安倍:こちらを選んだ理由は?

髙村:まず駅が近いことですね。そして、運営の母体がしっかりしている。入居してからとても満足しています。
正直、入居するまで老人ホームについて理解していませんでした。自立フロアと介護フロアとどう違うのかな、と思っていました。介護フロアの方へは用が無かったので行かなかったんですよ。ところが、家内が倒れて、介護が必要となり、ネックとなったのは資金面です。これは生活を圧迫する、と。資金繰りを何10回と計算しました。自分の年金と土地や株を売ったお金を基準にして計算して、ある程度目安がついてやれる、と判断しました。

安倍:こちらは要介護になったら、下層階にある介護フロアに移ることができますね。それは良かったですか?

髙村:それはとても良かったです。上層階と下層階で行き来できる点も良いですね。

パートナーが急に要介護状態になった時、すぐ近くの施設に移り住みできるという点は大きいです。少しでも離れてしまうと、高齢者にとっては通うこと自体が負担となってしまいます。あとは髙村さんが言うように資金面の問題をどうクリアするかです。ここは金融機関や施設側とよく協議することが必要だと思いました。

髙村:私は自炊しているんです。スーパーも近いですからね。自炊は長生きの為にやってるわけじゃありません。楽しいからやっているんです。自分の好きなものを作って食べる。一番好きなものは肉です。

安倍:現役の時はどのようなお仕事をされていたのですか?

髙村:終戦後1年間総合商社にいました。その後新しいスタートとして建設会社に転職しました。東名高速の沼津―三島間の工事もやったし、秋田の八郎潟の灌漑もやったし、全国を飛んで歩きました。ところが、定年前の53歳で辞めてしまったので退職金をもらえなかった。まあ、自力でもなんとかなる、と思ってやってきました。

安倍:高村さんはバイタリティーのかたまりなんでしょうね。

髙村:まあ、そうだったかもしれない。威張れることじゃないですけどね。(53歳で会社を辞めたことは)家内はショックだったと思いますよ。だからいま、罪滅ぼしのつもりで介護しています。

今回のインタビュー、簡単に受けてしまって後悔したと笑う髙村さん。とは言うのもの弁舌爽やかに自分の半生を楽しそうにお話しになる。

安倍:奥さまのお加減はいかがですか?

髙村:瞬間的に言葉は出るんです。「おいしい」とかは言える。ただ、継続して話す事はできない。食事が終わると覚えていない。認知症の問題は受け止めています。私もこれからどれだけ生きられるか分かりませんが、その間楽しければいいと思ってます。

ご自分も自由に生きてきたという髙村さん。だからこそ奥さまにもかつては趣味の習い事を自由にやってもらっていたそうです。お茶の免許から、書道も着付けもなんでも自由に、です。髙村さんが奥さまのことを大切にされてきたのだな、と思えるエピソードでした。

安倍:いまご親族は?

髙村:子供がいないので、頼りにしてるのは姪たちかな。保証人にもなってくれています。家内は13人兄弟、私は7人兄弟でしたが、もう誰もいないです。でもまあ、面白かった人生、後悔はしていません。

「こんな話するつもりじゃなかったのに。でも来てみたら仰々しくないし、勝手なこと話しちゃって。」などと照れ笑い。どこまでも茶目っ気たっぷりの髙村さんでした。そんな髙村さん、最後に現代の人たちへの思いも話してくれました。

髙村:わたしはね、「今の若いもんは」っていうことが一番嫌いです。物知り顔でそういうこと言うのはいやなんです。
ただ、若い人に理解してもらいたいのは、学問だけじゃだめだってこと。大勢の人と楽しくやるには教養です。勉強はやればできる。やらないからできないだけ。だけど教養は心の持ち方です。教養がないと人がついてこない。本を読む、音楽を聞く、運動をする。教養なくして一つのことに秀でていても意味はない。大勢の中で生きていくためにそれだけではだめです。

グッドタイム リビング センター南では、地域との交流も生まれつつあるといいます。そのために1階の一部スペースを開放しています。高齢化社会において、地域社会のさまざまな世代の人が共存・共生し、さまざまな価値観に触れ合うことができる。そのような社会の在り方は、人と人のつながりが薄くなった現代において、改めて見直されているのではないでしょうか。「閉鎖」から「開放」へ。今、介護施設の在り方も変わりつつある、そう思いながら「プラテシア」を後にしました。

インタビュアー

安倍 宏行 / あべ ひろゆき

日産自動車を経て、フジテレビ入社。報道局 政治経済部記者、ニューヨーク支局特派員・支局長、「ニュースジャパン」キャスター、経済部長、BSフジLIVE「プライムニュース」解説キャスターを務める。現在、オンラインメディア「Japan In-depth」編集長。著書に「絶望のテレビ報道」(PHP研究所)。

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